6年生になることが決まり、伸びたモラトリアムをボーナスタイムだと思って、頑張りたいこと。

「○○の様になりたい」の○○に普通は人を入れるみたいだけど、私はいつも物を当てはめる。あんまり理解してもらえない。


「当たり障りないこと」という安全地帯に縮こまって、自分の言葉を絞り出そうとしない話し方とかやり方はかっこわるくて、ありきたりな言葉とか無難な言葉はあんまり使いたくないなと思ってた。自分の言葉で話さないと伝わらないし、相手に失礼だと思うから。それで、「損してる」とか「付き合いづらい」とか思われても構わない。わかってくれる人が意図を汲んでくれれば十分だと思っていた。

 

「こんにゃく」


もともと私はずっと事勿れ主義で面倒くさいことが嫌だった。思ったことを言うことで、面倒くさいことになるなら言わないし、「はい、わかりました」と言えば一瞬で済むときには、分からなくても、そう言ってた。それでいて、「意味わからん」と当人に届かないところで不満を垂れていた。こんにゃくみたいに、相手にぐにゃぐにゃ合わせる、芯がない奴だったと思う。

 

「のこぎり」


だから、これまでことあれ主義というか、好戦的でいることを目標にしてきたのだと振り返った今、思う。大学というところは、東京という場所はノコギリでいるにはすごく過ごしやすい場所だった。

思ったことを自分の言葉で言う。やりたいことを自分の思うやり方でやる。
語彙は多い方じゃないし、経験も浅いからうまく届かないこともある。揚げ足を取られたり、意図をくまない批判をされることもある。
それでも分かる人が分かってくれればいい。届く人に届けばいい。伝うように努力はして、その結果ダメならそれでいい。
多分、好かれてる人にはすごく好かれたし、嫌われてる人にはすごく嫌われてた。それでも東京には、大学には人がいっぱいいるし、自分のやりやすいコミュニティーにいればよかった。

嫌われないように、面倒くさいことにならないように、という発想をすると、またこんにゃくみたいな自分に戻ってしまいそうで、あえて避けてきた。迷ったら危なそうな方を選んだつもり。今度の飲み会でネタにすればいいやとか思いながら。

摩擦がないように、ありきたりな言葉や無難な言葉みたいな安全地帯にいることもできるけど、そういう言葉は、やり方は多分相手の心を上滑りする。それなら多少摩擦があってでも、相手の心のどこかに引っかかるような言葉を使いたかった。


「日本刀」



ノコギリになって、いろいろぶった斬って、最近それではもうダメだなと思うようになった。ずっと日本の職業観に違和感があって、それでドイツと韓国に留学をして、帰ってきて、職業観のアップデートをできるような何かがしたいと思って、いい機会があったから、まずイベントを作った。
「荒削りだけどいいコンセプトだと思う」というコメントをよくもらった。”荒削りだけど”と言える人たちに私はこれまで支えてもらってたんだなと気づいて、これからは切り口がもっと綺麗になるようにノコギリを卒業したいと強く思った。

職人の取材で、刀鍛冶に会いたいと思って、日本刀について調べている時に、日本刀は「しなるから」西洋の剣よりも強いということを知った。その時に、相手に合わせたり、指示に従っている様で、実際にはうまく自分のやりたい様にことを進める知り合いが思い浮かんだ。ビルとかもそうだけど、地震の時に揺れる建物の方が崩壊しない。しなる方が、強い。ノコギリの次はこれだなと思った。


日本刀の性能と力学的性質

日本刀は「折れず、曲がらず、よく切れる」といった3つの相反する性質を同時に達成することを追求しながら作刀工程が発達してきたと考えられている。「折れず、曲がらず」の材料工学においての強度と靭性の両立に相当する。両者の均衡を保つことは高度な技術の結果である。また「よく切れる」と「折れず」の両立も難しい。これについては刃先は硬く、芯に向かうと硬さが徐々に下がるいわゆる傾斜機能構造を持つことで圧縮残留応力を刃先に発生させて実現されている。

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「当たり障りないこと」という安全地帯に縮こまって、自分の言葉を絞り出そうとしない話し方とかやり方はかっこわるいとは思っていたけど、安全地帯も使いようだなと思えてきた。
安全地帯に逃げないことでの危なっかしさとか荒削り感に付き合ってくれる人には本当に感謝しないといけないし、多分、若さで相殺されてきただろうけど、「若いからいいんだよ」といつまでも言ってもらえないなぁ

以上、12年ぶりの6年生になることが決まり、伸びたモラトリアムをボーナスタイムだと思って、頑張りたいことでした。