「私の思う所」と「外に出す言葉」との乖離を埋めること

 去年の8月に留学先に渡航したのだが、その出発前、私はすごく苛々していた。

渡航の日にちが2,3日ずれただけで

当初の申請内容と異なる審議が必要だ!

って方針なのに、
当初言われてなかった課題を

"※提出のない場合は奨学金等の返納を求める"

って注意書き付けて、ほいほい課すのよく分からない....
留学の支援どころか邪魔したいのかと思ってしまう

 

と思わずTwitterで呟いてしまう程、私は自分が応募した、もとい応募してしまった奨学金プログラムに苛立っていた。

 けれども私は今、そのプログラムで留学した人の帰国後報告会を東京大学の五月祭で企画している。
それも奨学生の義務等ではなく、自主的に。


 きっかけは単純だ。 一緒にお酒を飲んだことがある人にイベント一緒に作ろう!と誘われたから、それだけだ。大勢での飲み会は別だが、1度でもお酒を飲んだ人とは仲良くなった気がする。2度以上だと、互いの何か重要な部分を分かり合えた気がする。もちろん「気がする」だけ。錯覚だ。

 一緒にお酒を飲んだ人から誘われて、断るような理由も特になかったから、あまり面白そうだとも思っていなかったが、とりあえず、「面白そうですね、やりましょう!」と返信したのはここだけの秘密だ

 

錯覚でも気のせいでもいいが、

  • 「議題のないフリートーク」であること、
  • 「正しいよりも楽しい、面白いが勝ち」であること、
  • 就活で有りがちな質問する側、される側の区別だったり、講演会のような聞く側、話す側の区別がない「対話」であること、

を理由に私は飲み会というコミュニケーションツールは最強だと思っている。(一部、先輩の受売りである。)

Ozumo-Sake

 酔っ払いの戯言は以上にして、話を戻すと、最初はトビタテのイベントの企画に関わるつもりはなかった。興味もなかった。因に、トビタテというのは、留学の為の奨学金+αな文科省主催のプログラム。国だけでなく、民間企業も関わっている。従来の国費留学の2倍以上の手厚い奨学金が出る。

 応募時点で、私はその「手厚い奨学金」に興味がなかった、と言えば嘘にはなるが、どちらかというとそこに集まるだろう変わり者1期生のコミュニティー企業との就活を超えた繋がりに魅力を感じて応募した。

しかし、ログインの手間を理由にか、あまり機能していないトビタテ生用のSNSと協賛企業の方とは直接会って話をする機会も特にないのが現状である。

 なぜ、私がトビタテ有志としてイベントを企画しているにも関わらず、その愚痴を書いているのかというと、「こういうことのためにこんなすごいイベントやりまーす!」なんて正直薄っぺらい。作る人がどういう気持ちでつくっていて、イベントを企画に至るまでにどういう経緯があったのか。イベントの向こう側に何を見ているのか。関わる人極力すべての思いを全部見せてしまうことで一見薄っぺらいイベントにも立体感が出るんじゃないかなと思っているからである。

 私の文章の拙さを原因に立体感が出せなければ、後でなんであんなトビタテのイメージダウンになるようなことしたんだと責められる。因に、謝りに行く心の準備と仲間の手配は済んでいる。(ご協力感謝です、鈴木さん!)

 おいおい、トビタテ有志としてイベントをやるのに、そんなに一人称を「私たち、トビタテ1期生」ではなく「私」にして、個人の想いを出して、トビタテ生として協力してほしいとか周りにお願いしておきながら、「私の」イベントにするなよ、イベントジャックかよ、という声が聞こえてきそうな気もする。気がするだけかもしれない。そんなのは一旦気のせいだとどこかの棚にでも閉まっておく。

 「何のために」とか 「目的」とかを一人称抜きに、どこかの誰かに届けようとすると、共有している文脈がないので、どうしても希薄で多少うざいビックマウスワードになってしまいがちだ。企画者の文脈を共有していないことを前提に、イベントの説明やキャッチコピーを考えると企画者の思う所と外に出す言葉はどうしようもなく乖離してしまう。

 私はそれが嫌だ。私は自分の文脈を共有して「私の思う所」と「外に出す言葉」との乖離を出来うる限り、小さくしたい。そこに乖離があるとき、『意識高い系だ』と揶揄されてしまう気がする。(先ほどから、気がするという言葉が多くて申し訳ない。気がする止まりなのだ。)イベントと一人称との結びつきがなくなると、これからの世界の為に、未来を考えてなどと「外に出て行く言葉」はどうしても大きくなってしまう。どんなにすごいことをやろうとも、社会的に良しとされることをやろうとも、「一人称」と「やる物事」に結びつきを感じてもらえなければ、「あいつなんかすごそうなことやってるよね」「意識高そうなことやってるらしい」どまりだ。

 なぜ「私が」やるのかを伝えることはきっと多分すごく大事だ。

 さて、面白そうもないのに、「面白そうですね、やりましょう!」と返信した時の話に戻ろう。(もはやどの話が戻るべき本題なのか分からなくなってきましたが、どうかもう少々酔っぱらいにお付き合い願いたい!) 連絡をくれたイベントの発起人は、鈴木さん(仮名)である。仮名とするからには、鈴木というのはもちろん本名じゃない。しかし、初めて会った時に彼は「鈴木です」と確かに名乗っていた。

 初めて会ったのは、トビタテ1期生の関東懇親会。2次会で、「さっきの1次会で帰った、鈴木ってやつ、偽名らしいよ」と誰かが言った。偽名なんて使うやついるのか、と思った。後日、本人曰く、同じ人たちに何度も何度も名前を聞かれて、答えるのがだるくなり、自分の卒論か何かの担当教官の名前、鈴木だと覚えやすそうだから、鈴木ですと言っただけで詐称したつもりはないとのこと。鈴木さんの名前はそんなに覚えにくい名前でもないので、酔っ払いが沢山いたことがうかがえる。()

 そんな鈴木さんが、10人ちょっとのイベント企画チームにトビタテ生をリクルーティングしたのは今年1月。(リクルーティングと書いてみたが、給与はもちろんない。かかる経費もいまのところ自腹だ。)12月の時点で企画案は上がっていて、世界各地に散らばる留学中のトビタテ生と時差なんて気にせずに、コンセプト固めのためのSkypeを何時間もしたそう。私が加わった時点でコンセプトが固まっているということだったので、私は飽くまでも「お手伝い」をするつもりで十数人のメンバーの一人として加わっていた。しかし気がつけば、コンセプトについて常時あーだこーだ言っているのは、鈴木さんを除くと私だけになっていた。「お手伝い」をするというよりも、がっつり企画を回して、うまくいかなければいろいろと責任も。。という立ち位置になってしまった。

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 鈴木さんと杯を交わした仲だから、軽い気持ちで、イベント企画に参加したと書いたが、純粋にそれだけで不満を抱いているトビタテ1期生有志としてイベントづくりに関わろうと思ったわけではない。

(つづく・・・)

⚠️ここで読むのをやめてしまうと、ただの愚痴かつ酔っぱらいの戯言として終わってしまいます。どうか最後までお読み下さい!

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「心の羅針盤を揺らそう」紹介記事 vol.2

留学前の苛立ちと鈴木さん

企画・運営中の東京大学、五月祭でのイベント「心の羅針盤を揺らそう」について、

 企画に至るまでの経緯や登壇者の紹介、運営陣の想い等について書きます。

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writer : 宮本まどか

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「心の羅針盤を揺らそう」紹介記事

vol.1 「いい学校、いい会社、いい人生」という考え方は間違っているのか。

vol.2 留学前の苛立ちと鈴木さん

vol.3 (準備中)

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