劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編

遅ればせながら、劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編を見に行った。今日11月14日(土)から来場者プレゼントの配布が始まったみたいで、第1弾 “ufotable描き下ろしA5イラストカード 壱”をゲット。

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煉獄さんの心が清すぎて、荒んだ心が洗われました。

 

「若い芽は摘ませない」って 、煉獄さんの部下?後輩?を守る姿勢を見て、私もこんな人の元で働きたい!と思った。 あとで調べて見たら、煉獄さん自身も十分に若い(20歳)のに これからもっと技の研鑽を重ねて強くなれるだろうはずなのにもう先輩として盾になってしまうんだから、本当もうすごいなと改めて思った。

【これから留学をするという人に伝えたいこと】トビタテ留学JAPAN日本代表プログラム第8期派遣留学生壮行会でのOG挨拶

4年前。2014年の今頃の時期、私は留学の準備をしていました。選考書類を書いていた頃です。

 

3年半前、みなさんが今座っているように、2014年の夏、私たち1期生も壮行会があり、今私が立っているここには、支援企業を代表してソフトバンク孫正義さんが立ってらっしゃいました。

トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム 第1期派遣留学生壮行会 支援企業からの激励メッセージ ソフトバンク株式会社 代表取締役社長 孫正義様:文部科学省 - YouTube

 

これから留学をする8期生のみなさんに対して、(帰国したばかりの一つ二つ上の代ではなくて、) 3年以上前に留学した1期生の私が、今ここで話をさせて頂くのには理由があります。

 

それは、「留学」そのものではなくて、留学をして「留学をその後にどう繋げるか」こそが大事だということを伝える為です。そうした意図があって、留学から帰国して3年少し経つ私が、みなさんの先輩として話をさせてもらう場を頂き、こうして今ここに立たせてもらっています。

 

留学前は東京に住み、早稲田大学に通っていました。留学を終え、帰国後、広島県の離島で約3年間活動をしてきました。帰国した翌月から休学をして、地域おこし協力隊として広島県大崎上島町役場で働きました。

 

というのも、私はずっと日本の専門性を重視しない職業観に違和感を持っており、専門性の軽視が専門職の人手不足を生むのではないかという問題意識のもと、専門性を重視するドイツ、それから学歴を重視する韓国とへ行けば、何か解決策が見つかるのではないか。そう思い、留学へ行きました。しかし、私自身はこうしたことを外国で研究し続けるよりも、日本で解決に向けた動きをしたいと留学の終盤に気づきました。

 

帰国してすぐに選んだ道は、職人の多い広島の小さな町で、廃校の可能性指定を県の教育委員会から受けた県立の高校を、町の職員として存続に向けて取り組むプロジェクトに参画することでした。


帰国して10日後には、大学へ休学届けを出し、まだ募集要項を出す前の段階でこのプロジェクトについて知り、東京からその町へと向かいました。

 

その町は本土と橋でつながっていない完全離島でした。


その島へ飛び込んだのは、韓国やドイツでの生活のすぐ後です。日本語が通じると思えば、あまり悩むこともなく、この選択は簡単に取れました。それこそ海外だと思って飛び込み、地域の人とできるだけ交流を多く持ち、どうすればこの高校の魅力が増し、入学者が増え、廃校にならなくて済むだろうかと日々考えながら事業に取り組みました。

 

その時に、「専門性もバラバラで、出身地も大学の場所もバラバラで、留学先もバラバラ。そんなトビタテ生みんなで、国際的な視野で地域のある一つの課題を考えるような時間があればとても面白いのではないだろうか」と思い、企画したのが2015年の「造船の島のアイデアソン」というトビタテ生の地域イベントでした。

 

地元の商工会に予算をつけてもらい、帰国している1期生に声をかけ、どうすればその島の基幹産業である造船業の魅力がより多くの人に届くだろうかということについて、3日間かけて地域の方へのヒアリングや船造りの現場の見学をしながら、離島での合宿をしました。

 

するとこの翌年度、このイベントが内閣府の地方創生加速化交付金事業として事業化し、1年間だけと思い、大学を休学して飛び込んだ島に私はその後さらに2年関わることになりました。トビタテの地域イベントが事業化してそれが仕事になるだなんて私は考えてもいませんでした。

 

話せばまだまだ長いのですが、「留学した経験で身についた飛び込む力」やこの「多様性に富んだトビタテコミュニティー」を留学後に、活かすことができました。

 

これから留学に行く皆さんは今留学準備で頭がいっぱいかもしれません。そんな皆さんにとって、留学から帰ってきてからのことは少し考えにくいことかもしれませんが、私からは「留学」そのものではなくて、留学をして「留学をその後にどう繋げるか」こそが大事だということを伝えたくて、お話をさせて頂きました。

 

トビタテ生を瀬戸内の離島に集めて地域の課題解決について議論し、それ自体を事業化させ、仕事にした、変わった一期生がいるということを留学経験をその後にどう活かせるだろうかという一つの事例として、皆さんの頭の片隅に置いて頂き、帰国後の選択肢の幅が広がればなと思っております。

 

留学に行って終わり、ゴールではありません。人生はまだまだ長いです。ぜひ、帰国してからも活きるような留学をしてきてください。留学を終えてからのことが楽しみで楽しみで仕方ないような体験を、皆さんがそれぞれの留学先で経験できることを心からお祈りして、私からの応援のメッセージとさせて頂きます。

 

 2018年3月11日 

 

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【「早稲田大学 新卒」をどう使うか】母校のキャリアセンターで後輩に話をしたこと。話したかったこと。

「地域で頑張る先輩として、地域での働き方や魅力、どうしてその働き方に至ったのか話をしてほしい」という依頼を受けて、母校早稲田大学のキャリアセンターの「U/I/Jターンセミナー」で、Jターン代表としてお話をさせてもらいました。

 

早稲田の総長が基調講演をしたシンポジウムで、パネリストを務めたことで総長室長さんたちと知り合えたご縁でこのような素敵な場を頂けることになりました。

 

UターンやIターンはいても、Jターンしようかどうしようか悩んでいる後輩像がまったく描けなかったので、Jターンの魅力みたいなところとは別に自分なりにテーマを設けようとうんうん考えを巡らせているときに、早稲田大学の卒業生で後輩へ講演をしての所感をまとめた発酵デザイナー・小倉ヒラクさんの記事が目に止まり、読んでみて今の学生の全体像としてとても納得感をもって、すっと入ってきたのでこちらを参考に発表資料をつくりました。

 

現代は「あんまり将来に期待してない子」と「自分の手で未来をかえられる実感のある子」の二極化が激しい時代なのかしら。

安定を求めて昭和な人生ルートを選ぶことに疑問を持たず、まだ見ぬ自分の才能を半ば諦めている…という20歳の子たちは感性がないわけでははなくて。実は鋭敏な感性で「現実を直視したらアタマがおかしくなりそうだから過ぎ去ったはずの時代が永遠に続くことにしておこう」と自分に言い聞かせている。
うっかりその鋭敏な感性のセンサーを使って「これから来るべき日本の未来」を覗いてしまうことを恐れているのでしょうか?だからそのセンサーが誤作動しないように、過去のファンタジーで自衛している
二極化する20歳の世界観。早稲田大学で三年間講演をしてわかったこと。 | hirakuogura.com

 

大学4年でトビタテ奨学金留学(交換:韓国→私費:ドイツ)へ行き、帰国して数日で広島の離島の町役場で特別臨時職員としての1年間の勤務を決め、その後東京へ戻り復学したと思えば、離島での1年のうちにやった留学奨学金同期を巻き込んだイベントに国から地方創生加速化交付金というお金がついて事業化したので、またその島へ戻り、NPOでその公共事業に携わる...という改めて文字にすると意味の分からない先輩から伝えたかったことが20分の講演で後輩に伝わりきらなかった気しかしないので、不完全燃焼感を払拭すべく、書きます。

 

リスクをとる、それを楽しむ!

 

早稲田大学の後輩に伝えたいのは、「みんなもっと危ない道を進もうよ」ということ。

 

早稲田大学の中にいると、早稲田大学の学生にもちろん頻繁に会いますし、そんなコミュニティーにいたら、「早稲田大学の学生であるということ」は全く個性として機能しないのかもしれませんが、世間にでれば、「早稲田大学の学生であるということ」は割りとすごいことです。いわゆるいい学校の学生です。卒業すれば、いわゆる高学歴です。

 

多少失敗しても「早稲田大学の学生であるということ」あるいは「早稲田大学を卒業した人であるということ」はそれなりの身分を保証してくれます。

 

(注)早稲田大学出たからえらいんだぞと威張って欲しいわけではありません。

 

早稲田を出たということである程度の人物保障があるので、どんどん危ない道を行ったらいいと思います。東京で就職できないなんて、能力ないのかなって思われる心配だとか、地方での就職は「下る感じがする」なんてことは思わなくていいんです。

 

学歴がないことを馬鹿にする意図は全くありませんが、それでも学歴がない人よりは危ない道を進んでも、早稲田を出たという学歴がその後のある程度の保障になります。学歴を担保に早大生たちはどんどん未知を進んでいったらいいなあと思います。

 

とはいえ、リスクヘッジを!

 

次に伝えたいのは、危ない道へ進むときは命綱をつけるなり、地図を持つなりはするべきということです。

 

危ないところへ行くとしても、”危ないことをする”それ自体に価値があるのではなくて、危なそうに見えて誰も近づかないけれど美味しいところを見つけることに意味があります。

 

たとえば「休学」というリスクヘッジがあります。

 

卒業していきなり、リスクの高いところにいくよりも、「あれはあくまで経験のためにやってみただけだよ」とドヤ顔で戻ってこれる場所があるほうが、よりハイリスクなことができるんじゃないかなと思います。落ちるんじゃないかと心配して中途半端に高いところに上って終わるんじゃなくて、命綱はあるからとてっぺんを目指せる方がより他の人には体験できないような貴重な時間がすごせるんじゃないかと思いますし、命綱を何にするかは人それぞれですが、私の場合は「休学」がそれでした。

 

たとえば、地域で活動をするのであれば、地域おこし協力隊という総務省の制度を利用するのもひとつの手です。年間200万の給与と公務員(特別臨時)という立場が有期で与えられます。

 

リスクを取る姿勢で仲間・応援者を増やす!

 

最後に伝えたいのが、これです。

 

私は「早稲田大学 新卒」を瀬戸内の離島の小さなNPOに使うというやり方で、”リスクをとり”、多くの人に応援してもらいました。

 

早稲田大学出たのに、こんな田舎に」「いい大学出たのに、こんな島でいいのか」等いろいろと地域の方には心配をして頂きました。いわゆるいい大学を出たことで、いわゆるいい会社に就職していれば、得られなかっただろう応援者を得ることができたのは、後になってみてよくよく感じましたが、本当に私にとって宝物のような貴重な経験です。

 

NPOで雇用されている私の扱いを案じて、組織外部のいろんな人が私の雇用主に「給与ちゃんと払ってあげてね」「これくらいはあげないとかわいそうだよ」と言ってくれました。都会だったら、大手企業だったら、こんなことを言ってくれる人はいないなあと本当に思います。お金で計れないようないろんな素敵なこと、ものもいっぱい頂きました。

 

早稲田卒に相応ではないと思われるようなポジションであればあるほど、こちらの熱意さえ伝われば、多くの人が応援してくれるんだなと身をもって分かりました。

 

応援してくれるのに大事なのは学歴だけでないのは、重々承知していますが、私の新卒の使い方が応援に大きく影響したと認識しています。

 

うまく伝わるようにかけたか自信がない部分もありますが、私が伝えたかったのは、

一般的な評価軸では、「”いわゆる”いい学校・早稲田大学」に入学or卒業できているので、次のステップは自分の評価軸でいう「いい仕事」「やりたい仕事」について欲しいなあということです。

 

いい大学いい大学となんども書いたので、学歴主義みたいに届いてしまっていないといいなあと少し心配ですが、ぜひ早稲田の後輩は世間やいわゆるではなくて、自分自信の評価できる・評価したい方向へ進んでほしいなと思います😊

 

 2017年3月早稲田大学商学部卒業生